2014年4/24~5/5の12日間にわたるフィンドホーン探訪の記録をゆっくり、つづっていきます。
フィンドホーン(Findhorn)は、1962年、スコットランド北東部のフィンドホーン湾に面した荒地に暮らし始めた3人の創立者によって誕生した共同体で2012年に創立50周年を迎えました。
1972 年にスコットランドの慈善教育財団として法的に認められ、1997 年には国連からNGOに認可されています。現在、様々な国から集まった人々約400人が暮らし、持続可能な社会のあり方についてのビジョンの提示と実践を続け、エコビレッジとして世界的に注目されています。そして、毎年約70ヵ国1万4千人以上の人々が訪れ、国際会議や多様なワークショップ、セミナーが開催されています。なお、特定の教義や宗教とは無関係です。
コミュニティの1人当たりの環境負荷(エコロジカルフットプリント)は全英平均の約半分。”The Park”と呼ばれる敷地内には、パッシブソーラーハウスが建ち並び、木質エネルギーや雨水利用、風力発電のシステムが整備され、コミュニティメンバーが働く広大な畑、50年かけて育った多様な樹木、草地、花々が広がっていました。
私が、フィンドホーンを知ったのは10年あまり前で、いつか訪問したいと願っていました。現在、自分の住む農村集落に8~9軒ほどの小さなエコヴィレッジを育てている途上で、今回の訪問は、とても貴重な体験となり、お世話になった皆様に深く感謝しています。
それでは、次回から、地域計画やシティズンシップ教育を仕事とする私の目から見たフィンドホーンについて、少しずつ、つづっていきたいと思います。
この地は、もともと砂と瓦礫の決して肥沃とは言えず、冬の長さ寒さが厳しい環境でした。そこに、多様な樹種を植え、野菜や草花を育て、有機質肥料をつくって土地を肥やす努力を続けた結果、50年経た今、豊かな生態系ができあがりました。野生の動物たちも数多く生息しています。朝早く起きて森の中の瞑想室に向かうと、なんともいえないかわいらしい小鳥の鳴き声がしみいります。野生のキジが、住宅地の庭に普通に歩いています。住宅建設用の森林資源も自給しており、製材現場もありました。
あちこちに、コンポストが設置されており、内容によって、たい肥にするまでの時間が異なります(早いもので半年、根っこなど時間をかけるものは5年)。
48年間ここで暮らし、プランニングに深く関わって来られたC氏は、生物多様性について強調されていたのでいろいろお話をうかがってみました。
多様性は持続可能であるために重要で、特に、食べられる植物をたくさん植えてきたとのこと。人間にとっても、小さな生き物たちにとっても、食べられる植物があちこちに豊かに育っていることは、とても大切なこと。
また、かつての航海時代を経て、貿易用の造船のために森林伐採が進み、英国の原生林の残存率が1%程度となり、その後、植林が進んでいるが、フィンドホーンでも、できるだけ原生林の植生の再生をめざしたプロジェクトを進めているとのことでした。
敷地内には、野菜やハーブとともに、様々な食べられる野草が育っています。
これは、ガーリック味のする植物で、サラダに入れて食べられます。その場でちぎって食べてみると、たしかに、口の中がにんにく。(ギョウジャニンニクですね)これは、「ビーナスのへそ」というかわいらしい名前だそうで、味は、ハコベにそっくりでした。どなたか正式名称ご存知だったら教えて下さい。
住宅の合間をぬって、食べられる野草を摘んでいきます。あちらこちらでとってきた野草を集めて、皆でサラダをつくります。このボールいっぱいのサラダは、この日のランチタイムに、コミュニティセンターのメニューの1つになりました。
我が家も野草だらけで、訪れる方は、ビオトープのようだと言って下さいます。しかし、雑草だらけという意味で、褒め言葉も半分は皮肉と謙虚に受け止めてきましたが、やはり、食べられる野草が沢山あり、特に、三つ葉、コンフリー、ふき、どくだみ、よもぎ、その他、いろいろ先祖が植えてくれたものに改めて感謝しています。
フィンドホーンは春の花が咲き乱れ、本当に美しい光景が広がっていましたが、50年前は厳しい荒れ地だったことを思い、ビジョンを持って根気強く、仲間と協力しながら育てあげてくることの素晴らしさをしみじみと実感しました。
次回は、コミュニティについて書いてみたいと思います。
滞在期間中、コミュニティの仕事に従事させていただく機会が何度かありました。私は庭や畑の担当。朝9時開始で、最初に、メンバーが輪になってすわり、今日の気分や体調などを一人ずつ簡単に話します。
今日は天気が良くて気持ちがいい、眠い、頭が痛い、また皆に会えてうれしいなど、どんなことでもOK.このちょっとしたアイスブレイクが、気持ちをほぐし無理せず自分でいられる一日のスタートとなります。
私は旅の疲れ等もあり、ちょっと疲れていますがありのままで過ごしたいとか、頭痛がするのでもしも悪化したら途中で休憩させてくださいなど正直に話してみると、皆さんあたたかい眼差しでうなづいてくださる。このことで、どれだけ気持ちが楽になり、安心できたことでしょう。
現在400人程が暮らすというコミュニティがどのように運営され、コミュニティの一人一人がどのように気持ちを出し合っているのかが、私の最大の関心事でした。つまり、内発性です。特定の宗教を信仰したり、創設者を崇拝する集団ではなく(尊敬はしているが崇拝はしていないとのことでした)、一人一人の内なる声を大切に成り立っているからこそ、全体としての枠組がどこにあり、それらをどのように尊重しているのかということです。
Common Ground(共有の土台というイメージでしょうか)というコミュニティのガイドラインを見せていただきました。「自己啓発・成長」「誠実さ」「他者の尊重」「直接的なコミュニケーション」「責任」「非暴力」「協力」「奉仕」「問題解決」「コミットメント」などからなる14の項目が並び、自分自身を大切にすること、他者を尊重することなどが書かれています。社会の構成員として当たり前のことですが、それが明文化され、実践されている。その内発的動機づけがどのようにして育まれているのか、滞在中、ずっと考えていました。
内発的動機づけの3つの要素(関係性・自律性・有能性)について、いろいろ想いを巡らせてみることにしましょう。まず、「関係性」について。コミュニティのメンバーが互いに心を開き、コミュニケーションをとり、信頼の土台を築く様々な工夫がありますが、いちばんシンプルな1つは、何かを始める最初に輪になって手をつなぎ、ビジョンや感謝の気持ちを共有することです。これは、作業だけでなく、食事の前や話し合いの前など、様々な場面で行われます。そしてエンディングでも。
また、コミュニティセンターでの食事やイベント、日曜日の朝の歌を歌ったりダンスをしたりする時間など、人々が出会い、交流するいろいろなチャンスがあります。
日曜日の朝のダンスやテーゼの時間。この後、最後のふりかえりの時間・・・
誰ともなく自然に、コミュニティへの感謝や祈りの言葉が静かに語られます。一人が話すと、しばらくの静かな時間の後に、また別の人が話す。その絶妙な時間と空間の広がりに、こんな素敵なふりかえりの時間が、ワークショップではなく、日常のコミュニティの中にあるということに感じ入りました。
昼食と夕食時も、たくさんのコミュニケーションが。
次に、「自律性」。これは、一人一人が自分の内面の声を聞き、自分がどうしたいかを常に静かに感じられることを大切にしています。朝の瞑想室では、おのおのが静かな時間を過ごしていました。コミュニティのために協力や奉仕をすることも、自律的でなければ、義務感や別の動機づけから自由になることは難しいでしょう。
そして、「有能性」。それぞれの特技を生かして、コミュニティの仕事に従事されているようでした。建築、美術、教育、料理、音楽、広報、環境、エネルギー、農業、医療など様々な専門家や得意分野を生かして責任ある仕事をする。また、上述の輪になって感謝のメッセージを伝える際には、個人の名前を出して「○○さんありがとう」と具体的な役割を承認するという場面が何度もありました。
内発的動機づけに大切な3つの要素は、このような形でコミュニティの基盤になっているのだろうと感じました。
しかし、そんなに美しいことばかりではないのでは?と、質問させていただきました。コミュニティの問題をどのように話し合っているのか、問題が発生したり対立が生じたらどうするのか、合意形成は、、、、、。
定期的な話し合いの場があり、対立があっても、話し合いを重ね、最も大切にすべき本質を見失わず、信頼の基盤をより大切にしていく努力が行われること、また、問題解決のための仲裁人がいるとのことでした。きっと、対話のためのファシリテーションが展開されているのだろうと想像しています。
庭と畑仕事を教えていただいたA氏と作業しながらいろいろな話をしました。何がコミュニティの中で重要だと思いますか?とたずねると「コミュニティへの責任です」という返事がかえってきました。
「コミュニティへの責任」意識をどのようにして持つことができるのですか?とたずねると、「それ自体に意味があり、価値があるからです」と、非常にシンプルな答え。
持続可能な地域社会を考えていく上で、これはとても当たり前のことですが、とても明確に、すぐに返事がかえってきたので、一瞬、のみこむのに時間がかかったくらいです。
シティズンシップの基本中の基本である、責任意識。私たちは、どこまでこの意識を持っているでしょうか。
楽しい庭仕事は時間も忘れてあっという間にお昼です。
次回は、楽しく仕事をする、ということについて書いてみたいと思います。
日本人は、勤勉の美徳を重んじるように思うが、そこにユーモアが加わることで、仕事も楽しく、気持ちのゆとりを持ってできるのでは。
フィンドホーンでは、今、目の前の仕事を心をこめて丁寧にするという精神があふれているような気がしました。
庭の水やりを担当した時のこと。「Satoko—-with love!!! 」(愛をこめてお水をあげてね!)と声援が飛んできました。自分の家では、とにかく忙しい仕事の合間をぬってする畑や庭の水やりは、とっても大変で、焦りながら水をやっているのが現実。
フィンドホーンでも同じ急ぎリズムでやっていたわけではありませんが、その声援を聞いて、急に、目の前の花がいとおしく見えてきました。そして、自分の方が優しくされている感覚。
仕事の相棒それぞれに、名前がついています。きちんと整理整頓された農器具小屋を見るだけでも楽しみにしていたことの1つでしたが、この整然と並んだ一輪車には、1つ1つ名前がああります。ちなみに、コインランドリーのマシーンにも1つ1つ名前がついていました。Heidi(ハイジ)というかわいい一輪車もあります。私たちがお世話になったのは、Starbeam というちょっと派手な名前の一輪車。
道具たちにもいのちがあり、私たちの仕事を手伝ってくれる生き物のようないとおしさを覚えます。作業が終わると、1つ1つ丁寧に掃除をして片付けます。これは、私のご近所の農家でもしていことを思い出し、農器具に限らず、ものを大切にするという精神は、とても気持ちがよいとしみじみと感じた次第です。これは、お世話になった長靴たち。
一緒にハーブガーデンの仕事をしたMリーが、私たちに、楽しい?ハッピー?と聞いてくれる。一緒にいたYシが、とても新鮮に感動していました。そしてMリーが続けた。「私は、楽しいからまだこの仕事を続けるけど、あなた方は、自分のところが済んだら先に終わってもいいわよ」。
しかし、私たちはとても楽しいので、もくもくと仕事を続けました。
自分の家では、手に負えない雑草や水やりにプレッシャーを感じながら、やっとの思いでやっていますが、ただもくもくと今に集中すると、なぜか疲れないのですね。これを家に戻ってから試してみたところ、確かに・・・。
お茶用、料理用、医療用の3つのコーナーに分かれたハーブガーデンには、1つ1つハーブの名前が描かれています。こんなデザインが仕事をまた楽しくしてくれるんですね。これは、オレガノ。
仕事は地味なもの、だからこそ丁寧に愛をこめて行う。鼻歌やユーモアも決して忘れない。
次回は、いよいよC氏の感動的なパーマカルチャーについて書いてみたいと思います。
私たちを案内して下さったC氏のパーマカルチャーガーデンは夢中になってしまう場所でした。コンポストのたい肥で、50年前の開拓時には砂と瓦礫だった土地とは思えない豊かな土壌。いろいろな野菜やハーブ、樹木や草花が植わっていて、共生し合っています。鶏たちはあちらこちら自由に行き交い、草を食べ、糞を落としてくれます。
とにかく何でも食べられるエディブルガーデンなので、次々と試食させてくださるのですが、いろいろありすぎて、メモも持っておらず、名前を記憶できません。
手づくりのバレルハウス(ウィスキーの樽を再利用して作られたお家)は、いろいろな部屋が組み合わさり、様々な工夫が施され、楽しみながら暮らしておられる様子が伝わってきました。薪ストーブの熱は、1つの部屋だけでなく、パイプをまわして家全体に熱が循環するようにつくられています。
私たちがビスケットとお茶をご馳走になっていると、「わたしらにもおやつをくださいよ!」と窓辺に集まってくる鶏たち。小屋の中で卵を温めている雌鶏もいましたが、庭のあちこちの木陰に、こっそり卵を産んであるので、1つずつ拾って集めるそうです。我が家でもありましたが、ヘビが来て食べてしまいそうですね。いただいた卵は黄身が濃く、味わい深いものでした。
庭の水やりは雨水タンクの水を使っています。野菜の新芽が動物たちに食べられないよう、小枝を使ってバリアを形成してあり、知恵がたくさん。
日本の農村も、昔は、こんな庭や畑が普通にありましたね。我が家も、10年近く前までは鶏を飼っており、畑は今なお耕しています。
しかし、C氏の庭とだいぶ違う気がします。C氏が芸術家であるということもありますが、ガーデンが見事にデザインされ、手入れが行き届き、わくわくする空間になっているのは、庭を愛し、楽しんでいるからですね。
「雑草と大事な植物たちとの対立はあるのですか?」と質問してみると、雑草を敵視するのではなく、どの植物を増やしたいかで、交通整理をするというような感覚でした。自然農法でない限り、日本では一般的に雑草は敵です。奇跡のりんごの木村さんや福岡正信さんの畑は、共存しています。
こんなに広くて沢山のものが育っていますが、食べきれますか?とCさんにおたずねすると、いろんな友達が来てみんなで食事をしたり分けたりするので、全然大丈夫!とのこと。日本に帰り、自分の畑を再び耕す日々。いろいろやることがあり、追いつきませんが、Cさんのガーデンを思い出しながら、楽しみたいと思います。
この焼きそばのように見えるものは、Mさんが作ってくれた日本のつくし料理。日本の食文化をとても喜んで下さいました。
それにしても、放し飼いの鶏が、ちゃんと家に戻ってくるというのは、やはり、居心地がいいからですね。うちの鶏は、逃げ出したら、村中かけまわり、大変でした。
次回は、エコヴィレッジのエネルギー利用について書いてみたいと思います。
エコヴィレッジでは、様々な形で自然エネルギーの利用が進んでいます。
4基ある風力発電は、電力会社を通さずエコビレッジに直接電力を供給しており、近年住宅数が増えるまでは、風量が足りる日には全ての消費電力をまかなうことができたそうです。
どの家にも薪小屋があり、薪ストーブが設置されています。今年の冬は比較的寒さが穏やかだったため、薪ストーブだけで大丈夫だったとのこと、北の果ての極寒地で木材資源だけで暖房をまかなえたというのは、薪資源が豊富にあるということですね。エコヴィレッジ内に住宅建設や薪として利用するための森林が育っています。
カーシェアリングは12台あり、そのうち4台が風力発電からの電気を使っているそうです。ソーラーカーもありました。
住宅は、パッシブソーラーハウスが基本で、南側にたくさんの窓があり、効率的に熱を生かす構造となっています。屋根にソーラーパネルを載せるアクティブ型もみかけましたが、ほとんどが、構造と窓の工夫でパッシプを実現しているようでした。また、断熱にもこだわり、わらや段ボール資源なども利用して高断熱の工夫を凝らしているそうです。
各家に雨水タンクがあり、大きさも様々です。トイレにも使っているようでした。
これは、コンポストトイレで、おがくずと微生物の働きを利用しています。(カランガーデンのそばにあったもので、全ての家に設置されているものでありません)。下水道システムについておたずねしたところ、エコヴィレッジ内に、微生物を使った共同の排水処理システムを設置しているそうです。
このかわいらしいピンクの建物は、ブティックと言って、衣類や本、子どものおもちゃ、電化製品やちょっとした家具など、リサイクルできるものを集め、居住者が自由に持っていってもよいしくみになっています。素敵な洋服がいろいろありました。
この他、住戸内にコンポストがあり、生ごみのリサイクルが行われています。
住宅建設用の森林資源を育て、できるだけ自分たちで家を建てる。そして、アクティブではなく、パッシブを重視する。自然エネルギーを最大限使って、省エネに努める。衣類や子どものおもちゃなど、みんなが楽しんでリサイクルする。いろいろな工夫があり、生活に根差しています。
私が現在地元で進めているエコヴィレッジでは、風力発電やカーシェアリングはできませんが、雨水や木材資源の利用、コンポストや畑づくりなど、できる範囲の省エネや資源循環が実現できればと思っています。
このお宅では、屋根の上にも植物が生えていますが、屋根の傾斜などにやや問題があり、工夫を施しているそうです。コツコツと試行錯誤して自分たちで作って行くということが素晴らしいですね。
地元の資源を使い、できるだけ手づくりで家をつくることで、低コストの家が実現し、維持管理も自分たちでできるという豊かな発想が、とても印象に残りました。
次回は、エコヴィレッジを支えるスピリットについて、書いてみたいと思います。
あちこちに、手づくりの素敵なベンチがあります。このベンチは、手彫りでこのように書いてあります。
You are unique and un repeatable.
「あなたは、唯一でかけがえのない存在」正確には、くりかえしのきかない存在、でしょうか。
一人一人の存在の尊さ、人生の瞬間の尊さが、伝わってきます。
フィンドホーンコミュニティに滞在し、唯一無二のそれぞれの存在が大切にされ、自分らしくいられる場所であることをしみじみと感じました。
フィンドホーンのライフスタイルに、瞑想の時間があります。早朝、鳥の声とともに目覚め、そおっと部屋を出て瞑想室に向かうと、同じように、ゆっくりと瞑想室に向かう人に出会います。また、先に一人で静かに瞑想していると、そおっと入ってくる人もいます。これは、森の中にあるネイチャーサンクチュアリー。中はこのようになっています。これは、瞑想の時間ではありませんが、皆で歌を歌った時の様子です。
こちらは、メインサンクチュアリーの入り口で、赤いランプがついている時間帯は、途中から入らないよう配慮があります。
瞑想の基本は、「自分の内なる声に耳を傾ける」ということです。このことは、フィンドホーンの創設者の一人アイリーン・キャディがいちばん大切にしていること。自分がどう在りたいかを静かに自分に問いかける時間です。瞑想は、これらの建物の中だけでなく、ビレッジのどこででも可能です。桜の花の下のベンチで、静かにすわっていることも。
日曜日の朝には、コミュニティセンターで、テーゼを歌う会があり、コミュニティメンバーやビジター誰もが自由に参加できます。この時に体験したダンスのうちの1つは、お互いの目を見つめながら自分と相手の存在を大切に想う気持ちを表現し、順番に相手を変えて回って行く、とても素敵なものでした。照れくさそうな笑顔で見つめてくれる人、真剣な表情で見つめて下さる人。涙がにじんできます。これは、最後のダンスが終わった時の場面です。
これは、テーブルとベンチに掘ってあった言葉のいくつか。
ONENESS(唯一)、HARMONY(調和)、RELEASE(解放)、CREATIVITY(創造性)など、いろいろな美徳が書いてありました。
Love in Action という共同作業の最後の日には、メンバーが輪になってカードを引き、最後のシェアリングをしました。
私が引いたカードは、このUnknown。「計りしれない、未知数」。
アイリーン・キャディ著『心の扉を開く』には、365日分のメッセージが書いてありますが、5月18日にはこのようなことが書いてありました。「自分の役割をはたすことをせずに、答えが向こうからやってくることを期待してはいけません」。自分の人生の役割を自分の内に問いかけることで一人一人が”unique and un repeatable”であることを認識できるのではと感じます。そして、コミュニティへの責任意識が自然に生まれてくるのではないでしょうか。